はじめに
今回は社会問題にもなっている「ゾンビたばこ」について深掘ります。
2026年2月、日経メディカルに掲載された薬理学者・阿部和穂氏(武蔵野大学薬学部教授)のコラムが、薬物乱用問題における重要な視点を提示しています。
そこで、いわゆる「ゾンビたばこ」として社会問題化したエトミデートを事例に、医薬品と薬物乱用の本質について論文等も参考にしながら整理してみます。
エトミデート事案の経緯
事案の概要
2024年頃より沖縄県を中心に、若年層の間で新種のドラッグが蔓延し始めました。当初は特定されてはいなかったようですが、2025年2月の交通事故捜査により、その正体がエトミデートを含む電子タバコ用リキッドであることが判明。使用者が意識混濁や運動失調を呈し、その様相から「ゾンビたばこ」「ゾンビVAPE」と俗称されることになりました。
規制の経緯
規制の経緯は以下のようになっています。
- 2025年5月:指定薬物として規制開始
- 2026年1月:プロ野球選手の逮捕により社会的注目が拡大
- 現在:沖縄県外にも蔓延が確認されている
エトミデートの薬理学的特性
医療用医薬品としての位置づけ
エトミデートは欧米諸国で承認されている全身麻酔導入薬であり、以下の薬理学的特徴を有します
- 作用機序:GABA<sub>A</sub>受容体への作用による中枢神経抑制
- 薬物動態:短時間作用型、発現・回復が迅速
- 安全性プロファイル:
- 呼吸抑制が比較的軽微
- 循環動態への影響が少ない
- 血圧低下のリスクが低い
日本での未承認理由
エトミデートが日本で未承認である理由は、薬効・安全性の問題ではなく、既存の麻酔導入薬が広く普及しているため承認申請のインセンティブが存在しなかったことによるとされています。これは医薬品の承認が科学的妥当性だけでなく、市場性も考慮される実態を示しており、未承認だから副作用が大きいとか、未承認薬だから危険だというのは短絡的な見方であることになります。
薬学的視点から見た問題の本質
「違法薬物」という用語の問題点
阿部氏は報道における「違法薬物」という表現に対し、以下の問題点を指摘している:
「違法薬物というと、まるで薬が違法で悪いかのように聞こえますが、悪いのは薬ではなく、乱用する使用者の行為です」
私は、この指摘が一番この話の中で記憶に残っています。薬が違法なのではない、合法とされている薬であっても乱用すれば違法行為となる。違法薬ではなく違法行為だということを主張なされていました。
この薬は有益なものであり開発に尽力した人たちを無視している…詳細は下で述べますが一方的な見方のみでは解決できない奥深いものを感じました。
パラダイムシフトの必要性
従来の枠組み:
薬物 → 違法/合法 → 危険/安全
提案される枠組み:
化学物質 → 使用目的・方法 → 適正使用/乱用
薬物乱用教育への示唆
現行教育の限界
阿部氏は「薬ごとの違法性や危険性を比較して議論することは意味がない」と述べています。
それは以下の理由によります。
- 同一物質でも使用文脈により合法・違法が変わる
- 合法的医薬品も不適切使用により危険となる
- 違法・合法の二分法は科学的リスク評価と必ずしも一致しない
創薬研究と社会的スティグマ
研究者の心情
阿部氏は創薬研究の歴史を紹介する立場から、以下のように述懐していました
「せっかくの有益な薬を、まるでこの世に存在してはいけないものかのように言われると、薬学者として悲しい気持ちになります」
化学物質の価値は使用文脈に依存するものですから、物質そのものに本質的な「善悪」は存在しないのかもしれません。
デュアルユース問題としての理解
エトミデート問題は、科学技術のデュアルユース(dual use)問題の一例と捉えることもできます。これは同一の科学的知見や技術が、有益な目的と有害な目的の両方に使用可能である状況を指す問題です。
結論:薬学的リテラシーとは何なのか
個人的には…本事例から感じたり考えたことは以下のようなことです。
- 物質中心主義からの脱却:化学物質を「悪いもの/良いもの」とするのは本質的ではなく、使用文脈を重視する必要がある
- 適正使用概念の普遍化:すべての薬物に適用可能な「正しい使い方」
- 科学的リスク評価の重要性:法的規制と科学的危険性を区別し、エビデンスに基づく判断の重要性を理解する
エトミデート問題は、薬物乱用問題における言説の再構築の必要性を示唆しています。薬学教育および公衆衛生教育においては、物質のスティグマ化ではなく、適正使用の概念を中心に据えたアプローチが求められていると考えられます。
参考文献
- 阿部和穂「エトミデート『ゾンビたばことか危険ドラッグとか言われて悲しい』」日経メディカル Online, 2026年2月18日
- 阿部和穂『増補版・危険ドラッグ大全』武蔵野大学出版
- 阿部和穂『大麻大全』武蔵野大学出版
- 阿部和穂『よくわかる薬物依存のしくみ』PHP研究所

コメント